23周年。そして一恵先生。

昨日は23回目の結婚記念日。

当日気づく、笑


大学4年生の3月7日に明治神宮で挙式。

早大虚竹会の仲間が虚無僧の格好でちゃちゃいれにきた。


披露宴では福田優子ちゃんが箏演奏。


私は夫氏と「壱越」。
式の朝、津田塾大学の部室で二人で練習してから会場に向かった。


翌日は一恵先生レッスン!笑。


一恵先生や、ちょうどその時いらしたお弟子さんたちが
紙吹雪を用意していてくださり、玄関開けた途端に
紙吹雪が舞ってきました💖

その後の3月のスケジュールを思い出してみた!

数日後、学生三曲の卒業演奏会。(福田優子ちゃんや、夫氏、矢野っちと、茉莉花というかっこいい曲)
大学の卒業式。
沢井の関東支部演奏会。(難しい現代曲。大きなステージで独奏でした)
激安ツアーで新婚旅行(ロサンゼルス。)。
運転免許取得。(内弟子に入る時の条件)
社宅へ引っ越し。

今思い出すと密だ〜〜。
でも大学は春休みだったし、
忙しかった記憶はあまりない。


その4月・・・・忠夫先生がお亡くなりに。

5月から内弟子に。

一恵先生はどんなお気持ちで内弟子を迎えてくださったのだろう。

忠夫先生がお亡くなりになり、
一恵先生としては、内弟子希望だった人も、忠夫先生がいらっしゃらないのであれば、
やっぱり辞める・・・
という気持ちになるのではない、というお気持ちがあったそうです。


本当であれば4月に入ってすぐに
内弟子に通う予定でしたが、
そういうことで、それどころではない状況。

お葬式が終わり、少ししてから、
お便りをお送りしました。


気持ちは変わらず、内弟子に入ります!入りたいです!といった内容。
そのお便り、すごく嬉しかったと後からお聞きしました。

GW位からだったと思います。
通いはじめました。(私は通い内弟子でしたので)

市川慎君と安田有希ちゃんと3人で内弟子生活。

(慎くんは、私が入る2年位前から内弟子)


沢井にとって激動の数年間。

失ったものの大きさは計り知れないけれど、
その時期の一恵先生は、やはりとてもエネルギッシュでした。
演奏はさらにパワフルに。

お弟子さん達への指導も、内弟子への思いやりも
ものすごく深く。

今振り返ると、どれほど強い人なのだと。

その大変な時期にもかかわらず内弟子をやらせてもらえたこと、
本当に本当に感謝です。

その1年後にNHK育成会に入り火曜日はそちらへ。
2年後長男が生まれる少し前に内弟子を辞めました。

妊娠中も内弟子をしていたのは私だけかもしれません。

それを許してくださったことも本当にありがたい。

その頃には、箏で生きていく・・・・
という覚悟ができていたのかもしれません。
(意識はしていませんでした。)

内弟子に入ってから最初に課題として渡された曲は「小さな春」。
忠夫先生の難しい独奏曲。
4章に分かれています。

内弟子入って最初のお稽古。
(曲を渡されてから1週間後位だったと思います)
全章、大体は弾けるようにして、持っていきました。
それは当たり前のことと思っていたのですが、
先生にものすごく驚かれました。

「え〜!この曲、短期間でこんなに弾けるようにしてきたの?!」
すごく練習したでしょ〜!すごいわ〜!」

あの時の先生の表情、今でも覚えています。


内弟子ですから・・・。
練習以外することは、お掃除やお食事作り、先生のお世話。
空いた時間はひたすら練習。
余計なこと考えず、ただひたすら、必死に弾く。

上手になりたい、ならなければ、なんとかしなければ。

とにかくひたすら。

もちろん、その曲はその後、何ヶ月か一恵先生のレッスン、代稽古の先生のレッスンを
みっちり受け完成させました。(今思えば、全然完成には程遠いのですが)
ある程度弾けるようになってからが本当の練習。
何ヶ月やっても上達しないな〜〜〜と苦しくなりますが・・・
それでもやり続ける。
新しい曲に入る時の達成感や喜びは相当なものでした。


自分の大事な節目には、
かならず一恵先生が大きな影響を与えてくださりました。

大学2年生になる春休みにも一本のお電話が一恵先生から仙台の実家へ。


このことは、また何かの際に書きます。

(というか、以前のどこかで書いているはず)

そして、私だけでなく、
沢井のお弟子さんたちは、大事な場面で大きな影響を受けているのです。

ちなみに、写真は、先月のThree Wisdomsのライブの前の
夕食の様子。
石井彰さん撮影です😊

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