今日、Three Wisdoms でZoomミーティング。
この数ヶ月、ライブができなくなってからも、
こまめな打ち合わせが続いている。
この状況だから、ということだけではなく、
長いスパンでやっていきたいこと掘り下げて話せるメンバー。
本音が飛び交う❗
途中「こんな曲だよ」と石井彰さんが、ある曲を弾いてくれた。美しい・・・。
それは次回のライブで初披露。
その前に・・・・少し何かあるかも??
ところで、
昨日は、偉大なるドラマー日野元彦さんの命日。
毎年、その日には彼のお弟子さんたちや演奏仲間でメモリアルライブが
行われている。
日野元彦さんの奥様であられる方が40年続けてきた
六本木ライブハウス、
「Alfie」にて。
昨夜は、石若駿はじめ、愛弟子ドラマーや、演奏家の方たち中心に
生ライブ配信が行われていた。
日野元彦さんへの思いやエピソード等、貴重なMCをはさみながら。
石井彰さんは日野元彦さんのお兄さんにあたる日野皓正のクインテッドで20年以上
活動を続けてきたが、日野元彦さんのクインテッドにもわずか一年ではあったが、
お亡くなりになる直前まで、所属し演奏をしていた。
その様子がFBにアップされていたので、ご紹介したい。
『5月13日。日野元彦さんの命日。1998年に日野皓正クインテットに入団し、すぐ新しい日野元彦クインテットを作るから入れれと誘われた。山田穣、川嶋哲郎、安カ川大樹というメンバーでのレコーディングが最初だった。「1人3曲書いて当日持ってこいよ‼️」というトコさんの言葉に、レコーディングに慣れていない僕は、初めての顔合わせで初見の曲ばかりやるんだ😱しかも1日⁉️と、不安にかられながらもタイプの違う曲を3曲作って持って行った。
当日、どんどんリハーサルなのか本番なのかわからないまま事が進んで行った。作曲者がトコさんのブースに呼ばれ、譜面を見ながらその曲について説明する。トコさんはただうなづきながら譜面にメモ書きをする。そして、「よし、一度やってみようか❣️」という一言を発すると、右手が高く挙げられ指をクルクル回転させている。「録音せよ‼️」の合図だ。そうして僕の記憶の中では全曲ワンテイクで録られた。なんという事だ、、、一曲一音一音に命を張れよ‼️という日野皓正さんの言葉が身に染みる。
こうして嵐の様に過ぎ去った1日が終わり、僕の作曲した『Double Chant』というのが日野元彦さんの遺作のタイトルになった。
トコさんと共演できたのはほぼ1年しかなかったが、身をもってミュージシャンの最高の在り方、壮絶な生き方を目の当たりにして多くの事を教わりました。』
石井彰さんの、これまでの演奏や活動は、あまりに幅広く、あまりに濃く、あまりに深く、こういったことは、話の中で、ふと垣間見えるのだが、
あらためて、詳しく様子を知ると、根底にどれほどのご苦労や努力があったのだろう・・・と、想像することすらできない。
それは、定村さんも同じだ。
こういう方たちと一緒に演奏をするにあたり、ちょっとでも、
箏だから・・・・
Jazz初心者だから・・・
なんて思ってしまう、または口にしてしまうこと自体が大変失礼であり、
間違っていることだ・・・・。
と改めて思う。
言い訳が一番キライなのに、
言い訳ばかりしているじゃないか、自分。
時々、音楽、演奏活動について、長男と語るのだが、
大体いつも、
「それって・・いいわけだよ、おかあさん。」
とビシッと諭されることちょっしゅう。
ごちゃごちゃ言ってないで・・・
本気でやろうよ。
その通り。