3月30日、岩手の陸前高田市へ。
祖母や親戚に会いに
家族皆で出発しました。
震災から2年。
ずいぶんと月日がたってしまいました。
その間、常に意識していました。
自分に出来ることを・・・・
といっても、すぐに、直接、できることというのは、難しく、
家族皆が一生懸命、日々すごすこと・・・
その姿を祖母達に伝えることで、元気になってもらえたら・・・・
朝7時半頃、夫氏の運転する車で出発。
午後16時過ぎに祖母の家に到着。
水戸からはうちの両親と義妹と姪っ子が出発。
一斉に集いました。
予想はしていましたし、
テレビでも景色を見ていましたが、
実際にその地が近づくと、
すごく緊張しました。
以前の景色と違っているというよりも、
もとから何もなかったような、
本当に海岸近くの街並みは、何も無くなっていました。
何度も降りた電車の駅も。
海水浴場を囲っていた松原海岸の松林も。
家も。建物も。その中には、従兄弟の歯科医院も。
何もなさすぎるので、
かえって、道がわかりません。
海岸から少し入った山を登ったところにある祖母の家は
津波を逃れました。
山の途中まで波がきたので
祖母宅から少し手前のガードレールは波で曲がっていました。
そんな所まで波がきたなんて・・・・。
その日の様子は電話や母からの話で聞いてはいましたが、
改めて、祖母や叔父達から、目の前で話をしてもらって、
同じ日本で、そんなことが起きたというのは、
今でも信じられられず・・・・。
祖母の家をもうすこし登った土地は、もともとオートキャンプ場だったのですが
仮設住宅として、小さな建物が沢山建っていました。
祖母の家の一部を仮設の歯科医院にして、
従兄弟は忙しく働いています。
以前に行った頃と、
建物のことだけではなく、
街全体、何かが確実に違っています。
でも、前に進んで行こうという
強さや力も感じました。
また、絶対、家族皆で行きます。
夜は、近くのホテルに泊まりました。
今は、作業員の方達が泊まることがメインだそうです。
夜、祖母の93歳の誕生日のお祝いをしました。
祖母は腰は曲がっていますが、思っていた以上に元気で
耳も遠くなく、普通にしゃべってもちゃんと聞き取ってくれて、
けっこうシビアな冗談なんかも言ったりして、
食欲もあり、
強い女性だなあ・・・
と改めて思いました。
父がはじめて、祖母の家に行ったときの話や、(かれこれ、40年以上前のこと)
なぜか、夫氏と親戚一同が初めて会ったときの話し(実は長野で大学生のころ初対面しているのですが・・・・)を
叔父がうちの子供達に話して聞かせていました(^_^;)
こういう話って、知っていそうで知らないことがけっこう多くて、
いろんな話をもっともっと聞いておきたいな・・・・と思います。