『日本音楽の光彩Ⅱ』終了!!

いよいよ、この日がやってきました。

一恵先生はじめ、尊敬する沢井の諸先生方、大先輩の皆様、
そして、同世代の仲間、そして、若手(ここでは20代〜30代前半としましょうか(*´∀`))実力派メンバー、
と一緒のステージ!!

贅沢な空間で贅沢なメンバーと、そして、唯一無二の曲を演奏させていただく日がやってきました。

30年前の初演以来、
おそらく、限られた回数しか演奏されていないと思われるこの曲。

時を越えて、また、蘇る日。

30年前と言えば、自分は中学生でしょうか小学生でしょうか・・・・・

ちょっと曖昧にしておきましょうか・・・・・(*´∀`)

(そこの生徒さん・・・・・・つっこまないように・・・・・(^_^;))

沢井のさの字も知らなかった頃です。

もちろん、忠夫先生は大いに大いにご活躍の時期であります。

ですが、私は母親に習っているだけ、
それが箏の世界のすべてでありましたから・・・

外の世界なんて、知る由もなく、
また、知ろうとも思っていなかった頃だと思います。

そんな時に、こんな曲が生まれ、
がっつりと演奏していた沢井の演奏家の皆様たち。

今回、17弦1パートのリーダーの和久先生も当時、演奏なさっていました。
ソリストの福永先生も、忠夫先生のバックで演奏なさっていたのです。

その当時の忠夫先生の演奏は凄まじく素晴らしく、今でもその音色、音楽が鮮明に
思い出されると、お二人の先生のお話。

福永先生も超絶素晴らしい演奏家でらっしゃり、
私なんて、おはなしすらまともに出来ないくらい、ご一緒させていただくと
舞い上がってしまう、すごい先生なんです。

その先生が、「忠夫先生と同じようにはできないけれど、自分の精一杯を出すように頑張ります!」

と。

その先生の渾身の演奏は、リハの時から、ものすごいパワーで伝わってきまして、
その正確性、音楽性、そして、カリスマ性は、
忠夫先生のそれとは異なると思いますが、
それはそれは、素晴らしく、自分の演奏もそっちのけで、
耳も目も、福永先生に釘付けになってばかりいたのでした。

そして、30年前と同じようにソリストをなさる一恵先生。
福永先生とは、また異なる、独特の世界観に、自然にひっぱられ、先生の渦の中で
うごめいているような、難しいのだけど、なんとも心地良い感覚。

お二人の先生の中には、これまでの何十年もの思いや、経験、積み重ね、
私なんかには想像も及ばない、とてつもなく、深い思い入れがこの曲に込められているわけで、
きっと、もっともっと、演奏面でもバックの人たちに伝えたい事があったと思うのですが、
我々が演奏しやすいように、いろいろと工夫してくださり、
気持よく本番を迎えられるように、演奏面でも気持ちの面でも支えてくださるご様子に、
懐の大きさ、人間としての豊かさを感じるばかりでした。

いよいよ幕が上がります!!

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